説 明
この桜は彼岸桜の一種で、樹齢が高く(地元では1500年と称している)枝の各所が折損して樹勢が衰えたので昭和24年に山桜の若根238本を根接ぎしたほか、種々の保護を加えて回生を図った。現在、樹高17.2m、枝張り東西23.9m南北21.2m、幹囲り9.1mあり、花の盛りは4月上旬である。
【継体天皇お手植え説】
昭和の初期、一宮市で発見された古記録「真清探当證」に淡墨桜にまつわる物語が載せられています。今を去る事1,400余年の昔、皇位継承の縺れから弘計王の御子である男大迹王(オオトノオウ)が雄略天皇の迫害を逃れるため、わずか生後50日余りで哺育を托された草平・兼平夫婦に護られて、尾張一の宮から根尾谷に入り居を定めました。長じて18歳の時に大伴金村等に迎えられ都に上り継体天皇として即位されることとなりましたが、根尾谷を去るにあたり尽きぬ名残を惜しまれ記念に植えられたのがこの桜で、一首の歌を残されました。
『身の代と遺す桜は薄住よ 千代にその名を栄盛へ止むる』
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